サジタリウスの困惑
夜勤を終えて、自宅で一服し終えた頃。そのタイミングを心得ている人物からの電話があった。聞けば、彼の友達兼先輩である一人の人物が、その前日に交通事故で負傷したというではないか。暇なら揶揄ってやって、と、どこまでが誠実さなのかわからない言いつけをしたのは、だから乾自身なのだ。
二見という人は行動的な人で、見舞いの電話のつもりが、終始会話の主導権を握られたまま直接会う約束になる。何を持って行ったらいいか悩むまでもなく、電話口の二見にDVDをレンタルしてきて欲しいと頼まれた。こういう場面で発言を躊躇わないのは、彼のチャームポイントだと思う。自分のような性格の人間からしたら、無敵に思える人だった。
それで、何してたの。
訊かれたので、正直に、飯食って話してDVDを観ていたのだと答えただけなのに。乾は、ひょい、と片眉を持ち上げ、不愉快そうな顔をした。
「きみって子は…」
答えが気に入らなかったらしい。軽くため息を吐いて、片手で何度も顎を撫でている。
「や、でも、俺も仕事あったから…すぐ帰りましたよ」
乾の機嫌を損ねた理由がわからず、だから言い訳になっているのかいないのかもわからないまま、もごもごと弁解する。ややあって彼は頬を緩めて笑い、慧斗の髪を軽く撫で始めた。
「なあ、二見さんに何か変なことされなかった?」
「はは、なに、変なことって」
「色々。あいつの家行って、ただで済むわけないでしょう」
「ただどころか軽く黒字ですよ…」
「んなもん慰謝料だろ」
ごく親しげな口調ながら、二見に対して疑り深いことを言う。帰り際に渡された紙幣は、差し入れ代とレンタル代を差し引いても、じゅうぶんお釣りが返って来る額だったのだから。髪に絡まる長い指の感触を追いかけながら、慧斗はどうやったら疑いが晴れるのかを考えていた。結局は浮かばずに、
「あ、そう言えば」
話題を逸らす作戦、で。
「ん?やっぱり、何かされた?」
「や、そうじゃなくて」
急に顔を覗き込まれて、至近距離に焦って顎を引く。
「DVD観てた時なんですけど」
「…まあいいや、そこはスルーで。何があったの」
「あったってほどじゃ…なんか、スカパーとかでやってる海外ドラマを、字幕で見てて」
憶えたてのタイトルを告げたが、乾も知らなかったようだ。どのみちドラマの内容とは関係のない話なので、それは構わない。
「で?」
「で。二見さんてやっぱ、笑うとこ違うんですよね。あれってけっこう、面白いっつうか」
ちらりと乾を見上げようとして、見上げきることができなかった。慧斗の肩を抱いたまま盛大にソファーにもたれ掛かるので、引っ張られるようにして倒れこんでしまう。
「中村くんってさあ」
「…なに?」
「可愛いね」
なぜそんなことを言われたのか、怪訝に思いながら。その響きだけで、頬が熱くなっていくのを感じていた。