コンビニ店員の場合
「…クリスマスイブですね」
「もう聞いたって、うざいくらい…」
隣りでこぼす学生バイト、久保の頭を手のひらでぺちん、とやる。
「元気ないの?」
「やー別に。実際そんな、切ないとかいうわけでもないんですけど、どうせカノジョいねえし学校休みだし。なんとなく」
なんとなくかよ。復唱するだけのツッコミを入れて、慧斗はおでんの具につゆをかける作業を再開した。クリスマス・イブの夜、そしてクリスマスの朝を、この久保とともに過ごすというわけ。
夜半からかなり雪が強くなったせいもあって、客の出足はあまりよくない。それでも、パーティー帰りやパーティーの途中で酒とつまみを補充しに来る客などで、十時を過ぎた頃には、酒も含めたドリンクの棚がかなり隙き始めている。客が途切れているうちに、早々にドリンクだけは補充しておいた方がいいかもしれない。
「中村さんはあ?」
「なにが」
「いるでしょ、カノジョ…指輪の」
「つうか。仕事しないと生活苦になるだけだし」
「ちぇ」
「…久保くん今度の水曜、空いてる?」
「あーはい、どうせ」
「メシ行こっか。奢るよ…おっ」
感激した久保に抱きつかれて、おでん台が揺れた。よしよし、背中を叩いて彼の気を鎮め、
「奢るから。ドリンク補充してきてくれる?」
面倒な作業を命じておく。今はおでんの湯気に当たっていたい気分だ。
「はーい」
ドリンクの補充は店の裏側、バックルームからなので、彼はドリンクコーナーの脇の扉に消えて行く。ガコ、自動ドアが空き、同時にセンサーが鳴る。新たな客の入店に、ちらりと目線だけ動かし足元を確認し、いらっしゃいませー、と呟いた。
場所柄もあって、夜間には酔っ払いの客も多いし、珍客と呼べる人物と相対することも時々ある。珍客と呼ぶには控えめな、けれど彼は少し変わった客だった。
カタ。隣りのレジの物音に気づいて、お玉を定位置に返す。
「あ、今」
行きます、の返事に穏やかに頷いた男の恰好は、黒地の帽子に同じく黒地の、こちらは色糸の入ったマフラー、そして黒いコート。この土地をこの時間に出歩くなら、それは正装と言っていい。長身にはそれほど驚かない慧斗だから、その男と向かい合ってもさして感動はなかった。
驚いた、というか面食らったのは、レジに置かれたカゴの中身を一瞥した瞬間だ。
アイス、アイス、アイス、アイス、アイス、以下略。カゴの中は全て、同じメーカー…ブランドと言ってしまって正解かもしれない、ハーゲンダッツのミニカップだった。名札のバーコードをスキャンしてレジを始動させ、一個ずつその冷たいカップのバーコードを読んでいく。正確に観察したわけではないし、数えたわけでもないが、たぶん全種類を一個ずつ買ったというところだろう。冬場の方がアイスの売れ行き、しかも高級アイスの売れ行きは格段に良いのだが、たいていは自分へのご褒美に一個、とかだと思う。パーティー途中の買い出しのケースかな、と、慧斗はぼんやり考えた。
ピッ、ピッ、ピッ。冬場のアイスは、素手での作業が辛い。
アイスを全てスキャンし終わって、最後に一つ残っていた雑貨を手にする。ピッ、同じようにスキャンし、これは、茶色の封筒に入れてセロハンテープで留める。それが決まりの、レシートには「スキン」と表示されるやつ―――恋人のためのクリスマス・イブだけど、赤ちゃんのプレゼントには気をつけて。
下世話な気持ちがなかったと言ったら嘘だけれど、彼と目が合ったのはほんとうに偶然だった。合計金額を読み上げて、モニターの角度を見やすいように彼へ向けたタイミングなのだから仕方ない。
彫りの深い顔の、印象的な黒目が、慧斗の上目遣いを捉えて少し大きくなる。
「すいません…」
なんて、余計で、誤解を招く謝罪をしたものだから。
「いいえ」
ふっ。面白そうに笑われて、久し振りに、耳まで赤くなるような恥ずかしい思いをしてしまった。
朝七時。時給制の久保をきっかりの時間に上がらせ、事務所でしばらく雑務をしてから慧斗も帰ることにする。
いつものようにパーカーを羽織って、ヘルメットをぶら下げながら店を出る。
それを見計ったようなタイミングで携帯電話が震え、慧斗は慌ててポケットに手を突っ込んだ。
「乾さん」
『はい、乾です』
「えっ。あ、逆…」
出だしからもうペースを崩されて、口篭もる慧斗に電話の向こうで乾が笑う。
『仕事。終わった?』
「はい、今…」
『じゃさ、家戻んないで、うちおいでよ』
「あ、でも…」
『なんかある?』
「ある…や、ないですけど」
ははは、どっちだよ、とまた笑われた。
別に隠すことではない。誕生日に貰った指輪と同じ指輪を彼へのクリスマスプレゼントにするとは、本人へ予告してある。ブランド名や、シリーズ名、それから号数だって乾から直接教えてもらった。
ただ、家に帰らないとその指輪の入った小さな手提げ袋がない、ということ。
「……」
電話口で黙り込む癖を治せと、友人からもよく怒られる。乾は辛抱強くそれに付き合って、まあ、結局は彼から口を開くことになった。
『俺が行くわ』
「はい?」
『中村くんち。そうすりゃ解決?』
「あ、うん、解決」
『じゃあ。送ってくよ』
「え?」
『あ、間違った、迎えに来たよ』
ビッ。
短くクラクションが鳴らされて、驚いて横を見る。この季節には寒々しい、青い車の中から乾が手を振っていた。
「気付くのおせー!」
彼は愉快そうに笑いながら、こちらに向かって人差し指を突き出す。
「…乾さん」
「おはよ。バイクは乗っけてあげらんないけど」
「いいっ、全然」
寒さにだけでなく、頬が赤くなるのが判る。
急かされたわけでもないのに、慧斗は急いで助手席に乗り込んだ。
「びびった…」
バタン、ドアを閉めて、運転手を見上げる。
「うん?予告なしだったからねえ」
楽しげに言って彼が、ハンドブレーキを握るので、その手に自分の手を重ねる。キスはお預けだから、せめて。きゅ、きゅ、乾は二度、軽く握り返して、少し俯きがちに笑った。
「さて、行きますか…」
「うん」
車で十分かからない距離に、適当な話題はなんだろう。
「―――今日」
「うん」
「じゃなくて、昨日の夜。ちょっと変わったお客さん来て」
「ふうん、どんな?」