15.
ぐるりと身体が回転して、重力の方向もわからないまま、気づけば床に押し倒されていた。拍子に、ゴン、と後ろ頭をぶつけたことに、もしかして丈は狼狽えたのかもしれない。大きな手のひらに頭を包まれる。
「悪い」
「ううん」
「なに焦ってんだろうな、俺は。布団敷くから――」
離れようとする丈のスウェットを、日夏は強く引っ張った。
「ううん、へいき」
「日夏?」
「だいじょぶだから」
「なにがだよ」
「だって……すぐ、したい」
軽く目を見開いて、顎ひげを撫でて。丈は煙草の煙をそうするみたいに明後日へ向けてふっと笑い、
「知らねーぞ」
がばりと一息にスウェットを脱いだ。
筋肉の張った裸の胸に手を伸ばすと、その手を掴まれ、キスをされる。それから丈は日夏のニットを脱がせ、露わになった胸にキスをし、ジーンズのボタンを外してファスナーを下ろすと、臍にキスをした。
「んっ」
「細いの履いてんなぁ」
かすかに笑いながらスキニージーンズを片方ずつ力ずくで抜き、下着の上から強張りを撫でる。そうされただけで、じわりと染みるようだった。
「……ね……丈さん」
「お前……なんて顔すんだ」
苦々しく唇をゆがめるのは、堪えているからだとわかる。わかるから、嬉しい。今すぐ欲しいのは、自分だけじゃない。日夏は自ら下着を下ろし、膝を立て、開いた。
「ここ……」
指で広げて見せると、丈はまた眉をひそめて笑い、ズボンを下ろす。こぼれ出た大きなものに身体が熱くなり、息が上ずった。
ぬっと影が差し、厚い胸板が近づく。
「ん……」
唇を吸い、舌を絡めるキスをすれば、口の中に唾液が溢れる。ちゅっと音を立てて離れると、次に、彼の長い指が前歯をつついた。口を開けて招き入れると、上顎の裏を、頬の内側を、奥歯を撫でられる。きゅうっと喉が鳴った。
「んぅ……」
口内をゆっくり掻き回す指に夢中でしゃぶりつくうちに、緩んだ唇から唾液が漏れる。やがて丈は、その粘ついた指を日夏の尻に這わせた。やっと自由に息を吸えると思う間もなく、また、きつく唇を塞がれる。
「ん……むぅ……」
口の中を舌が、尻の中を指がくねり、丈の身体にしがみついて悶える。背中をさするように撫で、尻を揉み、またがっちりと日夏の頭を抱く。逞しい太腿に絡めていた左脚が外され、肩に担がれると、彼を求めてひくつく場所が晒され――きゅんとすぼんだ。
「いいか?」
「うん……」
大きく膨らんだ丈があてがわれる。
「あ……」
「痛かったら言えよ」
「へいき」
少しずつめり込んでくる、熱くて硬い先端。
「あ……ん……は……」
押し出されるように勝手に声が漏れてしまい、日夏は慌てて両手で口を塞いだ。
「なにしてんだ」
「だって、声」
「ん?」
「俺……うるさい……から」
「バカ」
その手は剥がされ、指をきつく絡め取られる。
「揶揄うんじゃなかったな」
「……けど」
笑い含みの、熱い息が耳に吹き込まれる。
「聞かせてくれ」
次の瞬間、力強く突き上げられて、泣き声みたいな悲鳴を上げてしまった。
目が覚めると、薄暗い寝室にいた。
布団から腕を出して天井に伸ばすと、確かに自分の身体の感覚があり、現実の寒さに凍える。あんなにぐちゃぐちゃになったのに、今は寝巻を着て、きちんと敷いた布団に寝ている。
身体のあちこちに残る鈍い痛みが、あれが夢ではないと教えてくれる。
断片的に思い出す、はしたない自分の振る舞いとか、またぐしょぐしょにしてしまったシーツのこととか、担ぎ込まれた風呂場でも抱かれたこととか。
すぐ横にある大きな背中は、今、静かな寝息にかすかに動いている。
その背中にぴったりと寄り添い、再び目を閉じる。トクン、トクン、丈の心臓の音が頭蓋骨に響くと、腹の奥にまだ残る彼の生命の感触が、甘く疼くようだった。
「……まだ寝てろ」
低く唸るような擦れ声で言って、丈がごろりと寝返りを打つ。
「うん……」
ゆっくりと胸に抱き込まれ、その中で深呼吸をする。
何か気の利いたことを言いたかったのかもしれないけど、開いた口から出た息は、言葉になる前に寝息に変わってしまった。
丈より先に起き出して、脱衣所の洗濯物を洗濯機に運ぶ。
シーツやタオル類で一回、他の衣類でもう一回かけないといけないから、時間勝負だ。
たこ焼きの残りの茹でだこは、予定どおり炊き込みご飯に。生姜をたっぷり入れて、醤油と酒と顆粒だしのあっさりめの味付にして、炊飯器にセットする。
できれば掃除機もかけたいけど、まだ丈を起こしたくないから、ひとまずカフェオレで一服。そのうちに丈が起き出して、剃刀を当てたばかりの彼の横顔をじっと見ていたら、キスをねだっていると思われてしまった。
日夏が掃除機をかけているうちに、一回目の洗濯が終わったらしい。丈がベランダの外に身を乗り出して、危なげなくシーツを干してくれる。
炊き上がったご飯をよそい、やはり昨日の残りの青ネギを散らす。ブロッコリーとミニトマトのコンソメ煮をスープ代わりに、出勤前の食事はいつも慌ただしい。
夕方の時報が聞こえる頃、アパートを出る。
崇にもらったグレーのパーカー、朝倉のクリスマスプレゼントの靴下、エディのお下がりの腕時計。最近また前髪が目にかかるようになってきたから切らないと、と思いながら、雪絵にもらったヘアピンで留める。
「行くぞ」
「あ、はい」
玄関で待つ丈に返事をして、洗面台の電気を消した。
並んで歩く路地裏の景色が、少しずつ変わり始めている。あの家の庭先に梅の花が咲いたり、遠くからでも目立つあの外灯の光がぼんやり霞んでいたり。
「日が長くなってきましたね」
「そうだな」
「きっと、あっという間に春ですね」
「おっさんになったら、もっとあっという間だぞ」
ぼやくように言う丈を見上げると、そのずっと向こうに、強い煌めきがある。
「あ……あれ」
「うん?」
「シリウス」
「……ああ」
日夏の指差した先を振り仰ぎ、丈は軽く頷いた。
夕方と夜の間の色、濁ったオレンジの空に、今にも消えそうなほど激しく輝く星が見える。彼に教わった、彼に会わなければ知らないままでいた、冬の星の名前だ。
「俺、丈さんに会えて、よかった」
気持ちが溢れて声に出るって、こういうことなんだと思う。
「俺もだよ」
なんでもないふうに言って、丈が頭を撫でてくれるから。日夏は目を瞑って涙を引っ込め、口の両端をきゅっと持ち上げた。
「うん」