お母さんってなんて呼ぶ?
これでもかという程、細かく箸先で大根おでんを割っていたエディが、その小さな一片を口に運び、うっとりと微笑む。
「んまい」
「ありがとうございます」
「美味しいし、ほっとするんだよね。お袋の味ってゆうのかなあ。いや、ひなっちゃんの味なんだけど」
お猪口に手を伸ばした瞬間という絶妙なタイミングで、隣の朝倉が徳利を傾ける。彼は実に優れた酌の能力の持ち主だ。
「エディのおふくろの味は、ザリガニなんじゃないの?」
「馬鹿にしてるね?」
「いやいや、素朴な疑問」
第二の母国語はほとんど忘れてしまったという。熱燗をくいっと呑んだ日本人とスウェーデン人のハーフは、その北欧的な美貌から、流暢な日本語を発するのだった。
「真面目に答えると、どちらかと言えばニシン。だが缶詰だ。うちの母親、料理しないんだよねえ。たまに作っても、これが美味しくないんだ。ところであっちゃん、お袋と言えば、あっちゃんはお母さんのことなんて呼んでる?」
空いた朝倉のお猪口に、エディが熱燗を注ぐ。この二人がセットでいると、酌の手間が少なくていい。
「おふくろ……かな」
「なにそれかっこいい!俺、普通にお母さんだよ」
「いやまあ、思春期の名残といいますか」
「渋いよ、リアルお袋は渋い。丈さんは?お母さんのことなんて呼んでるの?」
いや。来るとは思っていたのだが、一瞬考え込んでしまった。
「……母さん、だなあ、たぶん」
「たぶんってなに」
「ほとんど会わねーし、電話だって年に一回とかそんなもんだからなあ。改まって聞かれると自信がない。日夏は?」
「え?」
「お袋さん。健在か?」
外猫を飼っていたという祖母の話は、ちらりと聞いた。それ以上彼の詳しい家族構成は知らないため、奇妙な尋ね方になったかもしれない。
「あ、はい」
「なんて呼んでるの?俺達、何でも受け入れるよ?」
「や、普通に……お母さん、ですけど」
話題のせいだろう、両手で持った布巾をぎゅっと握る仕草が、どこか子供っぽく見えた。
八つ裂きにされた大根おでんをつつきながら、朝倉がふと言う。
「エディはなんて呼んでるんだっけ?」
「お母さん」
「で、日夏くんは?」
「お母さん……ですけど」
厳かな沈黙は、少なくとも朝倉にとっては必要だったのだろう。やおら片手を相方の肩に置き、やはり厳かに彼は宣告するのだった。
「エディの負けだ」
「ちょっと丈さんどうゆうこと?」
「俺に訊くなよ」