Novel >  KEITO >  Dec.8 2

2.

 彼は、自分の部屋の中ではあまり煙草を吸わない。転勤の多かった彼の、仮住まいでの癖らしい。
 吸うならキッチンの換気扇の下か、ベランダ。慧斗自身は自分の部屋で構わず吸うが、それ以外の場所では、その場所のルールに従うのが当然だった。
 ベランダの手すりに寄りかかって、潰れた水色のソフトケースから一本を抜き取る。一度咥えてライターを近づけるが、美酒美食の余韻を失うのが嫌で、火を点けることができなかった。吸い口が少し湿ってしまったそれをケースに押し戻し、ガラス戸を開けて部屋に戻る。
「あれ?」
「…やめた」
「あ、そ?」
 食器を洗いながら乾は、澄ました笑みを一度こちらに寄越して、前を向いてしまう。
 彼のベッドを背凭れにして床に座り、キッチンを観賞する。肘までまくったTシャツから、骨格に均等に筋肉をつけた、無駄のないフォルムの腕が伸びている。身長に対してシンクが低いので、いつもは姿勢の良い乾が、猫背になっているのが窮屈そう。
 ぼんやり見ているとまた、ふと首を巡らせた乾に揶揄われた。
「眠いんだろー」
「…眠くないですって」
 むくれて反論しても、相手は喜ぶだけなのだけど。

 

「ほったらかしでごめんな」
 Tシャツの腹で手を拭いて、乾がゆったりした足取りで近づいてくる。
「平気…」
 一度消したヒーターを点けたばかりなので、ファンの音が少しうるさい。勝手に操作したコンポから小さくFMラジオを流してあったのを、リモコンで消す。朝のラジオ番組ではwatching the wheelsがフェードアウトで終わり、CMに移ったところ。今夜、その人を追悼するためのスペシャルプログラムがあるのだ。おいで、と慧斗を手招いた乾は、
「あ、いいや」
 それを撤回して、慧斗の隣りに並んで座ることにしたようだ。ふわり、と洗剤のグレープフルーツに似た匂いが立って、長い腕に肩を抱かれた。
 ちゅ。唇どうしで軽くタッチしたあと口をわずかに開いて、ちゅう、少し長いキスをする。ゆっくりお互いの唇を吸い合って、離れ際に、慧斗が乾の下唇を噛んだので十秒延長。
 ようやく離れて、はぁ、短く息をすると、同じように胸で息をついた乾と目が合った。
「なにか?」
「…べつに」
 ほんとうに意味などないので、首を振って笑う。乾は慧斗の背中をゆっくりさすりながら、天井を見るように少し顎を上げて、やんわりと言った。
「プレゼント。ちゃんとあるんだよ」
「あ、うん…」
「受けとってくれる?」
「うん…」
 こくこく、二度続けて頷く。
 いつからそこにあったのだろう、手を後ろにやって、乾は小さな箱を取り上げる。手のひら大の立方体は、ブルー地にゴールドの細いストライプが入った包装紙と、ゴールド単色のリボンでラッピングされていた。
「どうぞ」
「ありがと…」
 慧斗の手のひらに乗せられたその箱は、羽のように軽く、ひやりと冷たかった。驚いて見上げると、
「冷やしといたから、あそこに」
 トリックを明かして乾が笑う。慧斗の目に触れないようにするには、冷蔵庫がちょうど良かったらしい。
「開けてもいいですか?」
「もちろん」
 快諾を得て、包み紙を開ける。透明なセロハンテープを苦心してはがし、開けると、中から水色の箱が出てくる。柔らかな水色。運命的だとしか思えない色だ。上蓋を取ると、真っ白な綿の上に、また水色の、フェルトのような素材でできた小さな巾着袋が乗っている。紐を広げて、袋を逆さにすれば―――ころん、と左手に落ちたのは、白っぽい銀色の指輪だった。
「わ…」
 思わずそれを握りしめて、乾を見る。
「これ?」
「ヴィヴィアンとかのがよかった?」
 茶化すわけではなく、真摯にそう訊いてくるので、彼がどれほどこれを選ぶのに迷ったかが判る。確かに装飾や彫りのない、数学的な輪のラインと素材だけで美しい指輪を慧斗は持っていない。
「…全然。すごい、きれい」
 冷たい輪っかを目の前にかざして、中から部屋を除く。見える世界がきらきら輝くような錯覚。
「指輪ってさ。なんか、束縛するみたいじゃん……したいんだけど」
「…嬉しい、ありがと」
 いつでも言葉に冗談を乗せる彼の、こんなふうに照れた声を聴いたことがない。彼の声も、リングの存在も、眩暈のするような喜びだった。
「束縛ついでに、それ、嵌めてくれますか?」
「だって。乾さんが、いいなら」
 ずっと憧れていた、指輪。とにかくそういうのを嫌がる男との恋愛では、考えられなかったことだ。
「…いいに決まってるでしょう」
 指輪は慧斗から乾に渡り、彼の手によって、迷いなく慧斗の薬指に嵌められた。乾の長い指が慎重に、リングを指の付け根につくまで押しつける。
「ゆるくない?」
 きつくない?ではないのが、可笑しい。中指だったら第二関節をぎりぎりで通れるか通れないかのサイズは、つまり薬指にぴったりということ。だいじょぶ、と頷くと、乾は、慧斗には大げさにも思える動作でため息を吐いた。
「ほっとしてる。やっぱでかすぎるんじゃないかって、もう、気が気じゃなかった……俺の頭ん中のきみの指は、とても細くて」
「そんな俺、別に…」
「ほんとだって。そうだな、鉛筆くらい?」
「はは、鉛筆?」
「そうさあ、鉛筆」
 慧斗の薬指を撫でて、口を大きく引き伸ばして破顔する。鉛筆にリングを通す想像に、慧斗も笑ってしまった。
「こうやって触ってたって、いつ折ってしまうか、心配なのに……よく似合ってる、きれいだ」
「…嬉しいです、すごく」
 嬉しい。慧斗はもう一度口の中で呟いて、乾の仕草を追いかけるために目を伏せた。
「…こんなことならもっと、高いやつ買ってあげればよかったなあ」
 値段を訊くのは、あまりに無粋で礼儀知らずだから。 (推定)付きの値段を思い遣る。収入に差があるからだろうか、自分が恋愛のセオリーを知らないからだろうか、金銭感覚の違いに驚かされるのはこんな時だ。慧斗にとってプラチナメタルのリングは、彼が悔やむように言うほどの安物では、きっと、ない。
 暖かい息がかかって、指輪に口付けられる。
 それから爪の先、手首の内側、そして顎先から頬に口付けるので、意図を察して身を引く。
「あ…乾さん」
「はい、なに?」
「俺、風呂入ってないよ…」
 そんなことかあ、とでも言うように両眉を下げて、乾は慧斗の首筋に鼻先を埋めた。
「平気。いい匂い」
 くん、確かに嗅いだあと、言う。そこは、フェロモンの出る場所だ。慧斗が答えられないでいると、唇は首筋を再び登り、舐め上げ、耳の付け根を吸った。
「やっ」
「嫌?」
「嫌じゃないけど…」
「じゃあ、いいの?」
 かり。上下の歯が、左の耳たぶを齧る。
「…んーっ」
 瞬間に、鼻から嬌声が抜けた。

 

 乾の手が両脇に入り、ベッドに引き上げられる。彼はそのまま覆い被さってはこず、数歩離れると、部屋のカーテンを閉めた。部屋が少し、暗くなる。
「誰にも見せない」
 ふふん、と笑う乾にうっとり笑い返して、慧斗は上掛の中に潜った。
 ニットとその下のカットソーを脱いで、上掛けの中から腕だけ出して、床に捨てる。おや?乾の目が楽しそうに輝くので、ごそごそと脱いだジーンズを放る。好色そうにする男にはフェイントで靴下を、最後にぽとりと下着を捨てると、乾も乱暴にTシャツやジーンズを脱ぎ去り、全裸になってベッドに乗り上げてきた。
 どうぞ、上掛けを開けて招き入れ、閉じ、横抱きになって夢中でキスをする。
「ん…」
 唇から喉、鎖骨、肩口や二の腕には歯を立てて。さっき慧斗の心を奪った色っぽい肘にも、噛みつく。
 抱き合いながらいくつかの重なり合い方をして、最後には慧斗が乾の体重を受けとめるスタイルになった。
「ん、んふ」
 キスの度に、太いペニスが腹や腿に触れては、薄っすらと皮膚に糊付けをする。
 堅い茂みをかき分けて、掴んだそれに手をスライドさせると、乾は気持ちよさそうに背中を震わせた。いっちゃだめと、付け根をぎゅっと握る。乾の手が同じように慧斗のペニスに触れ、幹をひとつ撫でるとすぐに、それの付け根よりずっと奥に指を這わせた。
「あっ…」
 きゅう、すぼまった入り口をつつき、少し強引に爪の先だけ挿れる。
「あっ、ん」
「開けてくださいな」
「うん…」
 返事はしたものの、下腹がうねって上手く力を抜けない。困って乾の顔を見上げると、こちょこちょと、そこをくすぐられた。
「あぅ…」
 勝手に動いた括約筋が、ぐにゃり、と乾の指を吸い込む。
「だいじょぶ?痛くない?」
「あ―――気持ちいい、よ…」
 くねくねと身体を動かしながら、中への愛撫を甘受する。しなやかな首に片腕だけで抱きついて、引き寄せ、形の良い外耳殻を舌先でなぞった。
「入ってきて…」
「もう平気なの?」
「なんで?してくれないと、平気じゃないのに…」
 乾は首に巻きついた慧斗の左手を取り、薬指に恭しく口付けた。
「…ケート、自由にして」
 握りしめたペニスを離せと、請われる。言う通りにすればあとは、愛おしい圧迫感に耐えるだけだった。
「あ、あっ…」
 いっぱいに広がる乾の感覚に、特有の、一瞬の混乱。
「…ん、あったかいね」
 最後まで納めた乾は心地よさげに呟いて、ずっ、大胆なバックスイングから、力強く慧斗をえぐった。ああっ、と甲高く叫んで、慧斗はリズムに合わせて声を漏らし続ければいい。

 

 射精のあとしばらく重なり合って、呼吸を取り戻す。
「…あの。ユーヒさん」
 ベッドの上でも特別な瞬間でないと、照れて呼べない恋人の下の名前。ん?と目で訊き返す彼の、湿った額を手で拭い、両方の眉毛を整えてやるように撫でた。
「休みは取れないけど…クリスマスには俺があなたに贈ります。クリスマスプレゼントなら、受けとってくれるでしょ?」
 何をか、目的語が抜けていたのに気付き、慌てて付け加える。
「あなたの薬指に、嵌るやつ。指輪を」
 目を細めた乾が、だらりと布団の上に伸ばした慧斗の左手に、自分の右手を重ねる。
「…じゃ、揃えよっか。ペアリング」
「ふふっ」
 慧斗は均等に筋肉のついた胸を押し返し、彼の身体の下で反転した。
「あ。笑いますか」
「笑いますよ、あんまり嬉しくって…」
 うつ伏せて笑う慧斗に上から覆い被さって、乾が頬に口付けてくる。
「それ、本気にするからね…?」
 首を捻って、彼に囁き返す。
「して」
「するさ」
 そのまま、また少し、長いキスをした。

END
静馬 優喜さまよりの190000打キリ番リクエスト「慧斗の誕生日を祝う乾」。
おうちでごはん、の誕生日ですが、寒い冬にはあったかくて素敵かなと思います。慧斗は乾さんからこうやって少しずつ、憧れるばかりで諦めていたようなことやものを、贈ってもらえたらいいな。
(2005.12.7)

さて以下のリンクより、指輪購入秘話(?)のSSをお読みいただけます。ごくごく短いものですが、笑ってやってください。→12/8が来る前に…

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