Novel >  ベイビー、ベイビー >  Be Home For Christmas1

1.

 週末のデパートは混雑している。
 単なる週末ではなく、単なるフロアでもない。十二月の初旬、クリスマス商戦もピークのおもちゃ売り場だ。
 この場にいる多くの大人は、小さな誰かにとっての親である存在だろう。「サンタさんへのお願い」を叶えるためにやって来た人々。ここは、幼く純粋な夢を守るための、尊い舞台裏でもある。おそらく数少ない独身者として紛れ込んでしまった自分もまた、幼く純粋な人のためにこのフロア立っている。
 ディスプレイされた玩具やモニターから聞こえる様々な音で、フロアは溢れ返っている。天井のスピーカーからは、インストゥルメンタルのクリスマスソングが同じ曲順でループしていて、いつしかそれは鼻歌となって体に乗り移っていた。
 いくつか先の棚から、黒髪の頭が突き出して見える。
 ちらりと覗いているなんて可愛いものではなくて、周囲からずば抜けて背の高い彼は、デパートのおもちゃ売り場でだってもちろん規格サイズ外だ。その一際高い位置にある頭が、二、三度左右に動く。彼の同行者、いや、彼を同行させた人間を捜しているのだろう。興味本位で手にとっていた変身ヒーローグッズを棚に戻し、摂は動く目印を追いかけた。通路を一つ間違え、次の通路に入りなおしたところで、白いダウンの背中を発見する。軽く押すと、手のひらが生地に柔らかく沈んだ。
 ゆっくりと振り向いたノアは、エキゾティックに整った顔を、やはりゆっくりとほころばせる。
「…見つけてくれてありがとう」
「貴重な体験したでしょ。この歳で、おもちゃ売り場で迷子になるなんて」
 おどけたように黒目を回す仕草で賛同してみせた彼に、背中を軽く叩かれる。
「Hey,Mr. Santa Claus」
「なーに?」
「プレゼントは決まったの?」
 急かすトーンでも焦れたトーンでもないが、玩具のラインナップを一通り楽しんでしまえば、彼にできることは何もないのが事実。そろそろ食傷気味なのかもしれない。
「あぁ。決まってるんだ、最初から」
「ん?」
「サンタクロース首脳会議ってのがあって。俺が買う物はそこで決められてんの」
「ちなみに、その会議のメンバーは?」
「おねえちゃんと、その旦那」
「なるほど」
 少し歳の離れた姉には、今年小学校に上がったばかりの息子がいる。摂にとって甥にあたる彼は、たまに会ってもなついてくれる、人見知りのない愛らしい人物だった。子供向けの番組やアニメを必然的に見る環境にない摂は、トレンドも何も分からず、ただ姉夫婦の指令に従ってその年のプレゼントを用意するのが役目である。摂の意思でチョイスしたプレゼントをひかるに渡せるようになるまで、まだまだ時間がかかるだろう。その頃には彼は、サンタクロースに対する崇拝に等しい気持ちを失っているかもしれない。
「良い子にしてないとサンタさん来てくれないよー、って呪文がばっちり効くらしいんだよね」
 イメージが目に浮かぶのだろう、ノアは愛おしそうに目を細めた。
「可愛いですね」
 父性を感じさせる、慈愛のある微笑だと思う。同時に、本来自分達が子孫とは無縁のセクシャリティなのだと、気づかされる一瞬でもある。このフロアに、当たり前に何人もいる父親。彼らのような存在には、自分達はなれない。お互いに、自分のセクシャリティを割り切っていると自負しているタイプではある。そうであっても、まるで慈父のように微笑むことのできる彼が生殖のシステムから逸脱している現実は、摂にとって残念なことだった。
「あ。今何時?」
 自分で言いながら自分でコートの袖口をずらし、腕時計の文字盤を読み上げる。レストランの予約時刻から引き算したノアが残り時間を告げ、ずいぶん長くおもちゃ売り場に留まっていた事実に二人して驚くことになった。
「早いとこ買い物済ませなきゃ」

 

 振り替え休日によって実現した、クリスマス・イヴを含めた三連休。年末の”クソ”忙しい時期に何故、週の始まりに休まなければならないのか、というのが本音だ。本音というだけでは済まされず、こうやって実際に、祝日のオフィスでパソコンと向き合っているわけなのだが。
「休出って、なんでこんなに仕事はかどるんだろ…」
 がらんとしたオフィスに独り言が響き、やがてカーペットに吸い込まれる。
「不健康なこと言うなよ、二見。知ってる?世の中は今日、クリスマス・イヴだって」
「知ってるって」
 ちらりと窓の外を振り返り、すぐにパソコンに向き直る。薄っすらとした太陽の光が半分、一部だけ点けた蛍光灯の光が半分、そんな配合も休日のオフィス独特の明るさだ。営業部署の休日出勤率は、30%といったところだろうか。他部署や他社、もちろん自部署が機能していない時でないと、これほどスムーズにデスクワークは進まない。
「予定ないの?」
「あるよー」
「…なんだ」
 摂の即答に同僚は、連帯感を失った不満と好奇心がない交ぜになった表情で頷くだけだった。
 八割方のメールの返信を終えたところで、キーボードを打つ手を止める。既に回答済みの案件について、再度問い合わせが来ている。そろそろメール中心のやり取りは限界のようだ。受話器を取り上げ、内線番号を押す。ビル内ではなく、工場内の部署に繋がる番号。
 コールは原則三回以内、とは明文化されたルールではないけれど、たっぷり十五秒ほど鳴らしてみても出ないということは無人なのだろう。そう思いかけたところで、コール音が消える。
『はい開発ー』
 間延びした応答。
 摂は受話器を握りなおし、そのまま頬杖を突いた。
「何だよ今の取り方ー」
『あ、二見さん?』
「あ、じゃないだろ?もー、俺の教育疑われるじゃーん」
 営業部署での研修期間を経て、開発部署へ戻った技術屋の後輩は、摂の嘆きにもどこ吹く風で笑うだけだ。
『別に教育だけじゃなくて、疑われることばっかじゃん、あんた』
「待たせすぎだし、名乗らないし、口答えするし。落第点」
『ごめんごめん、煙草部屋から急いで戻ったから。つーか、だいたいさ、休みの日に電話が鳴るはずないんだけど?』
 やはり含み笑いの乾の声が、左耳に届く。
「休みの日に電話取るやつもいないはずだけど?」
 しばしの沈黙。嫌味を応酬しても、お互い虚しい気分になるだけだった。はあ、とため息を吐いた後、乾がぼやく。
『今日からスタートしないと、今年じゅうにデータ出せねえのよ』
「俺も午前中かけて、未読メール減らしてた――課長いる?」
『いない。何しろ休日だから、今日』
「だよねえ。乾は何かないの?今日」
『あっても言わない。で、二見さんは?って聞いてほしいんだろ?』
「うん。あるよ、俺はね」
『はいはい。じゃ、早く帰ってあげなよ』
「そうだねえ…五時には終わらせたいな」
 言いながら見たパソコンのデジタル時計は、ちょうど、一分数字を進めたところだった。

 

 タイムリミットの五時を少し過ぎ、オフィスを出る。
 車に乗り込み、ガソリンスタンドで給油してからケーキ屋へ向かう。去年のクリスマス・イヴは生まれて初めてプロテスタントの燭火礼拝に参加したのだが、今年はかなり強行軍になることが予想されていたので、クリスチャンからの提案により自宅で個人的に祝おうと決めた。料理と酒でゆっくり過ごせればと思っていたはずなのに、それでは物足りないと、土壇場で気が変わったというわけ。
 マンションの駐車場に降りると、冷たい風に頬を切られる。ノアなら階段を使うだろうなと思うけれど、摂を上へ運んでくれるのはエレベーターだ。
「――あははっ」
 ドアの前まで来て、ひとり声に出して笑ってしまったのは、今朝出勤する時には確かになく、もちろん物置きやクローゼットにも最初からないはずの物が飾られていたから。彼が先に到着していることを示す証拠でもある。ノブを捻るとドアは開き、中から暖かい空気が流れ出してきた。
「おかえり」
 リビングから顔を出したノアに、背伸びをしてキスを贈る。
「ただいま。いい子にしてた?」
 コートの上から腰を抱く大きな手、それから、頬にキスのお返し。
「してましたよ、たぶん」
「ねえ、玄関のリース、どこから持ってきたの?」
「そういうアイテムには事欠かない家業なので」
 蔓、柊、松ぼっくり、それに姫りんごのような赤い果実まで使われたハンドメイドのリースは、彼が実家のプロテスタント教会から貰い受けてきたものらしい。
「ララの手作り?」
「毎年十二月になると、リース作りの教室を開くから。その余り物で申し訳ないけど」
「どういたしまして。嬉しくて笑っちゃったよ」
 もう一度、唇どうしでキスをして、手荷物をノアに預ける。紙袋を覗き込んだ彼は、休日仕様の黒縁眼鏡の奥で目尻に皺を寄せた。
「ケーキ?食べきれないから買わないんじゃなかった?」
「ブッシュドノエル。チョコレート味の」
 問いかけをはぐらかす摂を、愉快そうに笑うだけで非難したりはしない。独断で玄関にリースを飾りつけた彼に、その資格はないのである。
「さて。セッティングしよっか」
 振り返ったテーブルの上には、小ぶりのフラワーアレンジメント。これも、今朝にはなかった物ではないか。黙って命令を待つ態度のノアの、ニットを引き寄せる。ツイード生地に包まれた胸に手を滑らせて、
「摂?」
 彼を見上げる。
「クリスマスの間は、うちにいてね」
「もちろん」
 今夕から明朝にかけての約束は、あらかじめ交わされていたものだ。脈絡のない言葉に動じず最上級のYESを返したノアは、摂の背中を軽く撫でながら、鷹揚に頷いていてくれた。

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