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6.
 三階建ての小さなオフィスビルの二階に、副島の勤める法律事務所はあった。エントランスとエレベーターホールを兼ねた一階には不動産屋のプレートが、三階には保険会社のプレートがかかっていた。
 代表の桜田は恰幅のいいロマンスグレーの好々爺といった感じだが、あの副島が一ミリも頭が上がらない様子なので、きっとさぞ切れ者なのだろうと思うと知らず緊張してしまった。どうにも自分で思っていたほどごまかすのが上手でないらしく、「取って食いやしないよ」と笑われてしまった。
 事務員の梅山さんは明るい女性で、実年齢より一回り以上若く見えるのが自慢らしい。実際、年齢を聞いて驚いたし、その時の映のリアクションを大層気に入ったようだ。そのおかげだろうか、三時までの勤務であまり顔を合わせないのに、冷蔵庫に作り置きの惣菜を残してくれるようになっていた。
 バイト内容は、資料整理がメインの文字通り雑用だ。時間も短いし決して稼げる仕事ではなかったが、履歴書に法学部卒業と書くためだけに入学したわけではない自分にとって、たとえ雑用係であっても今から法曹に関われるのは嬉しかった。今まで飲食店のバイトを入れていた土日の昼間は、ちょうど新しい家庭教師の仕事を得ることができて、勉強する余裕も生まれた。
 それに、今週だけでもう三回も副島に会っている。事務所にいる時の彼は度入りのサングラスではなく普通の眼鏡をかけており、そうするとなんだか急に書生風にも見えて落ち着かない気分になった。
「うちは、街金だの闇金だの詐欺だのヤクザな仕事が多くてさ。俺の見た目じゃ舐められるから、こんな、コスプレみたいなことさせられてんの」
 上司の命令だと、そういえば言っていたっけ。あの時、ヤクザな職業なのは彼のほうだと思っていたが、本当はエリートなのだ。
 
 事務所で唯一の喫煙者の副島は、ビルの外階段で、手すりに針金で括り付けた少し錆びた空き缶を灰皿に、煙草を吸う。当たり前のようにそれに付き合わされてバイトをさぼるのが、後ろめたくも少し嬉しかった。奢られた甘い缶コーヒーに口を付けながら、横合いの副島を見上げる。
「なんで」
「ん?」
「なんで、最初から教えてくれなかったんですか。弁護士だって」
 現役合格で弁護士になったのだと、つい昨日梅山さんが教えてくれた。副島本人は映がそれを確かめようとしてもなお言いたがらなかったのだが、その理由が経歴で見られたくないというのだから難しい。
「言ったろ。俺を見てほしかったから」
 その妙な意地のせいでいつまでも憶測と誤解の色眼鏡で見られていたことは、どうやら彼にとって大した問題ではないらしかった。
「そんなの。どこの誰だかわからない人でしたよ、俺からしたら」
 少し呆れた気分で言うと、副島は映の頬を軽く撫でて、鼻先を近づけてくる。
「だって、はーちゃんは。その、どこの誰だかわからない俺のこと、好きになったろ?」
 煙草のにおいの唇が、唇にちゅっと短く弾けた。この外階段が通りに面していることに狼狽えているのは、どうやら自分だけらしい。
「でもさ。初めてだったの、そういうの。運命感じたよ」
「……ロマンチストなんですね」
「はは、いいね、ロマンチスト」
 にやりと笑った副島が、手すりを掴んで伸びをし、ふと尻ポケットを探り始める。
「そうだ、はーちゃん、これ」
 手渡されたのは、見たことのあるカードキーだった。
「これって」
「合い鍵。いつでもおいで」
「不用心ですよ」
 思わずそれが口をついた。まだ会ったばかりの自分に、こんな物。
「まさか、はーちゃんの口からそんなこと聞くとは」
「だって。俺が家財道具一式持ち逃げするかもしれないでしょ?」
「そんなことしないんだろ? 清く正しいはーちゃんは」
「しません……けど」
 カードキーを手の中で持て余しながらもごもごと呟くと、副島はもう一度、今度は擦りつけるようにたっぷりと映の頬を撫でた。
「もしそうなっても、許しちゃうな。俺、好きな子にはすっげー甘いから」
「……しません」
 触れられた頬が熱い。副島は明後日を向き、煙と一緒に、盛大に失笑の息を吹き出した。
「好きだよ」

終わり 2020.6.4

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