Novel >  KEITO >  僕が明け方にバイクで走る理由1

1.

 水曜日のこの時間帯に掛かってくるのは、仕事終わりのコールと決まっている。バイブレーションの正体を探して布団の中に手を伸ばし、少し慌ててもしもしと答えると、もしもーし、とのんびり返ってくる。
「これから行くね」
「うん」
「飯どうする?外?家?」
「家」
「何がいい?ちなみに俺、死ぬほどマックの気分なんだけど」
「はは、死なないで」
「マックでいい?」
「うん」
「じゃ、買ってくね。食いたいのある?」
「お任せで」
「了解」
 訪問の旨、食事の相談と、いつも通り手短に電話は済む。
 彼が食事を調達しつつここへ来るルートを頭の中でなぞりながら、散らかった部屋を片付ける。出しっぱなしの服を適当にたたんでキャビネットに押し込んだり、テーブル、ベッド、床、と平らな場所には大抵置かれている本を拾い上げて、一ヶ所に積み上げたり。
 コーヒーはインスタントのを淹れるから、お湯を沸かすついでにコンロで煙草に火を付ける。煙草を吹かしながら、あ、バニラシェイク食べたいかも、なんて今さら思うも、優柔不断の裏返しできっぱりと全権を委ねたのだからそんなの我儘だな、と自己解決。積み上げた本の中に紛れてしまった読みかけの一冊を取り出して腰を下ろすと、落ち着く間もなくやかんの笛がけたたましく鳴る。火を止めて、改めてページをめくり始めてからはどれくらい経ったろう。煙草がすっかり短くなった頃に、玄関のチャイムが鳴る。
 開けたドアの隙間から、陽気な声。
「おす」
 頷くだけの慧斗に笑いかけると、乾は手にしたビニール袋を掲げてみせた。
「腹減ったぁ」
 迷いなく靴を脱ぎ、キッチンで手を洗ってから部屋へ。
 コーヒーを二人分淹れてから追いかけると、ジャンクな夕食が次々とテーブルの上に並べられている。三種類のハンバーガーは、二つが彼の分で、一つが慧斗の分。ポテトはLサイズ一つを分け合って食べるのがちょうどいい。
「何読んでた?」
「ミステリ。翻訳の」
「面白い?」
「……まだわかんない」
「なるほど」
 気のない相槌を打ちながら、リモコンを手にしてテレビを点けると、さらにビニール袋から小さめの紙袋を取り出す。飲み物も買ったんだろうか。だとしたらコーヒーはいらなかったな。
「いらないかなあとも思ったんだが、俺が食いたかったので」
 言いながら乾が取り出したのは、Sサイズのカップ二つ。
「シェイク、いる?」
「――いる。食べたかった。電話しようかと思ってたくらい食べたかった」
 感激して勢い込んで言うと、にやりと笑われた。
「さすがだな、俺」
「うん、さすが」
 ストロベリーとバニラがあったが、選んでいいと言われたので、ありがたくバニラを押し頂いた。
 空腹だと言ったのは本当だったようで、乾はハンバーガーをあっという間に平らげると、ようやく人心地ついたといった様子でコーヒーを啜る。テレビ画面をバラエティとニュースで行ったり来たりさせていたが、ひとまずニュースで落ち着いたらしい。
「乾さん、ここんとこ、そんなに忙しくないんですか?」
「んー、そうだな、平和。今週なんて、溜まった書類にハンコ捺すだけで終わりそうだ」
 もちろん実際そんなに簡単な話ではないだろうが、乾は独特の軽い調子でうそぶきながら、既に緩めてあったネクタイをぐいっと取り去る。
 出会った時こそきっちり決まったスーツ姿が印象的だったけど。営業職から工場付きの部署に移ってからは、上から作業着を羽織るためシャツもネクタイも彼曰く「とりあえず着てりゃいい」ようで、すっかり気を遣うのを止めたらしい。あまりに隙のない恰好だと気後れするので、正直、今くらいがいいなと個人的には思っていたりもする。
「珍しく会議も少ないし、急な試験依頼の気配もないし」
「気配?」
「あるんだって、なんかこう第六感的な、虫の知らせ的なやつが」
「ふうん……」
「中村くんは?」
「え?」
「仕事」
「俺はいつも通りですよ……」
 しがないコンビニ店員に変化があるべくもなし。苦笑する慧斗の頭を撫でて、
「いつも通りか。敏腕店員はいつでも忙しいもんなぁ」
 と労ってくれる優しい人。
「あ、照れたな?」
 そして追い打ちで揶揄うのも忘れない、意地悪な人でもある。

 

 慧斗の定休日、水曜の夜に一緒に居るということは、つまり、こういうことになってもいい、ということ。ならなくてもいいけど、ならない理由がないなら、なっていい――ああ、少し戯れただけでもう思考がとろけてる。
「ん……」
 シャツを脱いだ乾が、抱き寄せた慧斗に何度目か口付けながら腕時計を外す。
 どちらのものとも判らない煙草の匂いと、胃もたれするようなジャンクフードの脂の匂い。長い指が頬を撫で、それから髪に挿し込まれると、キスが深くなる。たっぷり絡めてから離れ、濡れた唇が首筋を這う。
「一週間ぶりだな」
「ふっ、うん……」
 耳元にかかった息に感じて、肩が跳ねる。大きな手に素肌を撫で下ろされて、堪らず脚を突っ張ると、嬉しそうに笑うのが判った。ちょうど一週間前の今頃も、このベッドの上で抱き合っていた。
「ね……」
 しなやかな背中に手を回して、乞う。
「オフだから……」
「うん?」
 腿に押し付けるものはもう硬くなっているのに、「それが何か?」とでも言うふうに言葉の続きを促す余裕ぶり。苦手だって知ってるくせに。でも、羞恥を抑えて口に出すほうが良くなるってことも、彼は知っている。ぎゅっと目を瞑って、囁く。
「……いれて」
 声が擦れ、身体じゅうの血が沸騰する錯覚。
 そろりと薄目を開けると、カーテン越しの月明かりに浮かび上がった乾の顔は、憎たらしく取り澄ました表情から野性的なそれへうっとりと色を変えた。
「何回聞いても、たまんないな……」
「……バカ」
 頭を引き寄せて、耳を噛む。無抵抗でいてくれたのは一瞬で、すぐに唇どうしのキスに変わり、息継ぎの間にお互いの残り少ない着衣を剥がしていく。
 慧斗の下着に手をかけて下ろし、持ち上げた左脚からするりと引き抜きながら、乾が笑う。
「どこ行くでもなく、家で飯食って、テレビ観て、適当に喋って、して(、、)」
 ちょん、と悪戯されるので、
「んっ」
 思わず腿を閉じる。
「最近の俺ら。なんかこうやって並べてみると――倦怠期みたいだよなあ」
 くくく、と喉の奥で笑う乾に、熱くなるばかりの身体を抱きしめられて。ぼうっと顔を上げたらまた唇が触れ合って、またすぐそれに夢中になってしまったので。
 反論し損なったことに気付いたのは、翌朝からも仕事の彼が帰るのをベッドから見送って、こういう日の後には必ず感じる独りの寂しさに漠然と身を委ねながら、なんとなく毛布を掻き抱いた瞬間だった。

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