Novel >  ベイビー、ベイビー >  ジェミニの憂鬱 序章

序章-カプリコーンの驚愕-

 毎週木曜、三時半に、定例の職員会議はスタートする。
 四月から五月にかけての、新しいコミュニティー、新しいコミュニケーションに慣れさせるための訓練的レクリエーションは一通り終わり、校内…職員室内は落ち着きを見せ始めている。行事のオンパレードといった様相のそれまでに変わり、六月のメインイベントといえば、中間テストだ。それから、今日から衣替え。あいにく教職員は私服で、世間のクールビズとはあまり縁もなく、実感もなく、ニュースの中の出来事という感覚なのだが。黒を基調にした制服姿の生徒達が、一斉に白く軽やかな色彩の集合へと変化するのは、壮観だった。
 職員会議の内容は、主にはその中間テストについて。教育実習については、来週詳しく話があるとか。英語科教師ではなくバスケ部副顧問として、週末に控えた他校での練習試合を報告するのみで、あとは傍聴にまわっている。
 それほど議題がないように思えて、延々と続くのが、職員会議の魔力で。
 そう、この生産性のなさも、魔力と呼べば、脱出することのできないジレンマを伝えることができるんじゃないだろうか。メモを取る姿勢を取ったまま、気づけば、一列向こうの一角を中心にした談笑に近い会話を、ぼんやりと聞き流している。
 五時を少し回ったところで、終了のお達しが出る。早いか遅いかといえば、早いほう。職員会議のあり方が問われるようになって、これでも早く終わるようになったのだから、ため息は胸の中だけで吐くべきだろう。職員室を出て、階段を上る途中、下りてきたジャージ姿の生徒と出くわす。
「あ、ミスター堀込」
「Hey, What’s up?」
 揶揄混じりの呼びかけを受けて、返事は、フランクな英語で。えーっ?と彼は困ったように笑い、用件を母国語で伝えることにしたようだ。
「せんせー、もう体育館来れる?」
「うん、着替えたらね」
「ミニゲームやってるんだけど、せんせーに入ってもらいたくて」
「ああ、はい、はい。今から上に戻るけど、すぐ行くよ」
 ノアの言葉に頷き、再び足早に階段を下りる生徒を見送る。
 公立高校の経済状況は厳しく、外部コーチの指導は基本的に週に一度、大会前の一、二ヶ月は集中的に受けられるように予算を組んである。普段は教師が監督に当たるしかなく、また公立高校の場合その割り振りは良くも悪くも公平で、経験者が顧問になるとも限らない。自分のように経験者かつ担当者というケースは、生徒と教師どちらの立場にとっても幸運だろうと思う。
 上、というのは英語科教師が常駐している部屋を指し、英語科だけでなく、教科ごとにそれぞれ一室かそれ以上、準備室と呼ばれる部屋が存在している。教師を探すなら職員室よりも先に、準備室を目指すほうが確実なのだった。
 第二校舎の西側の階段を、三階まで登った、すぐ左手にある一室に入る。
 全職員が出席している会議を終了と同時に抜けてきたので、当然ながら同僚はいない。ノートをブックエンドの隙間にさし込み、足元のトートバッグから、手探りで掴み出したのは携帯電話だ。自分が生徒だったら、取締りの対象物。特に禁止されている身分ではないけれど、誇示しないというのが教師間の暗黙ルールでもある。電源は常にオフにしているものの、バッグの中には大抵入っている、なんて、子供達とやっていることは変わらない。
 定時を過ぎていることもあり、特に心当たりはなかったのだが、電源ボタンを押す。表示されたのは着信一件、留守電メッセージあり、のマーク。時刻はついさっき。電話の主を確認したノアが、この場でメッセージを聞かずにはいられなかったとして、誰に責められるだろうか。もし聞かなかったとしたら、の仮定法のほうが、自分にとってずっと深刻だった。
 留守番電話サービスセンターへの短いコールのあと、録音時刻を告げる機械の声。メッセージ、イッケン、デス。

 

 「Hello」から始まり「I love you」で締め括られるまでの十数秒、簡略美とも言えるリズミカルなロサンゼルス訛りのメッセージに、耳を傾ける。
 その後に続く、保存か消去かを問うガイダンス。強制終了させる指先が、緊張していた。
 車のキーは?突然失念し、チノパンのポケットなんて無意味な場所を探ってしまう。もちろん正解は、バッグの中。
 体育館に顔を出し、ミニゲームの参加は不可能になったと告げなければならない。バッグを肩に担ぎ、部屋を出る。強かに左肘を打ったかもしれない、と、他人事のように鈍痛を感じながら、階段を駆け下りた。

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