3.
「実はちょっと気付いてたんだよなあ」
「え?」
「一瞬さ、時計見えたんだよ。んで、あ、このままいくと日付変わるかもな、と」
「ああ………」
「だからって、そこで止められたら俺人間じゃないよな」
ちょうどいく(、、)とこだったし、とか、言わなくてもいいのに。と思いながら、それを受け入れた身体を布団の中で転がす。新しいスウェットを出してもらったのだが、この暑くて心地よい布団から出るのが嫌で、ぐずぐずしている。
始めた時間が少し遅かったのと、していた時間が少し長かったせいで、間に合わなかった。
何がって、年越し蕎麦が。
十二時時数分前から茹で始めた蕎麦が茹で上がったのが、十二時数分後。
キッチンから、だしと醤油のいい匂いが漂ってくる。
「できた。中村くん出てこーい」
「うん………」
勇気を振り絞って布団から出て、服を着る。
ねぎとかまぼこが添えられたシンプルな月見蕎麦が、テーブルの上で湯気を上げている。夜食なんて入るだろうかと思っていたのだが、かすかに空腹さえ感じている。理由は、まあ、口にしたら乾がにやつく種類のこと。
慧斗が向かいに座るのを待って、乾が背筋を伸ばす。ので、つられて背筋が伸びる。
「あけましておめでとう」
「………おめでとうございます」
こういう改まった挨拶が、すごく苦手だ。堪らず正座を崩し、乾の顔を盗み見る。目が合いそうになって思わず逸らしてしまったけど、笑われなかった、と思う。
「さて、食おう」
「うん。いただきます」
まず最初に、つゆを味わうべきだろう。恐る恐る器に口をつける慧斗とは対照的に、乾は一口目から麺を啜っているんだけど。熱くて、ちょっと濃いめのつゆが、腹に染みる。
「うーん。普通」
「や、うまいですよ」
作った本人とは思えない感想に、我ながら珍しく、間髪入れず反論してしまった。
「いや、不味くはないが、買ったほうがうまい」
「それは………比べるものじゃないっつうか」
冷静に分析されても困る。彼らしいといえば、あまりにらしい言い方だ。もう一口つゆを飲んで、麺を啜る。そもそも蕎麦を食べるのが久しぶりだし、しかも手作りだなんて、慧斗にとってこの器には嬉しいものしか入っていない。
「おいしいです」
「ならよかった。ちなみに、明日のお雑煮も、だいたいこんな味。同じつゆだから」
「あ、はい」
「あれだろ、こっちのお雑煮も、澄まし汁だよね」
「うん」
「餅は?焼く?」
「うん」
「で、大根とかにんじんとか入ってる感じの」
「うん」
「あー、全然うちのほうと変わんないわ。つまんないよな、味噌入れてみるか」
「てか乾さん」
「うん?」
「毎年こんな、ちゃんと正月やるんですか?」
「んなわけないだろー」
あ。この笑い方は、照れてる。
(2011.1.15)