Novel >  KEITO >  いとし年越し2

2.

 最終的に手荷物は、スーパーの袋二つに牛丼屋の袋一つ、全部で三つになった。
 スーパーの袋を両手から提げる乾の後ろで、牛丼の具の偏りを気にしながら階段を上る。
「おお」
 玄関の鍵を開けた乾が、少し仰け反ってから慧斗を振り返った。
「俺にも静電気、来た」
 嬉しそうに言うから、笑ってしまったではないか。
 乾は荷物を置き、ハイカットのスニーカーをごろりと脱ぎ捨てると、まずはヒーターのスイッチを入れに行く。
「うわ、何℃だと思う?」
 身震いする程度には寒い。慧斗もスニーカーを脱ぎ、部屋に上がりこんだ。
「わかんないけど、一桁だと思う」
「正解。八℃だって、八℃」
 部屋が暖まるまで、まだしばらくジャケットは脱げない。
 乾はというと、さっさとコートを脱いでハンガーにかけ、カーテンを閉めながらリモコンをテレビに向けて電源を入れる。夕方のニュースが流れているところだ。
「昼間、大掃除したから、どこ座ってもだいたいきれいだよ」
「大掃除?」
 このシンプルな部屋の、どこを大掃除できるんだろう。
「つっても、カーテンレールとか拭いて、いつもよりちゃんと掃除機かけたくらいだけど。あ、でも水周りは本気で掃除した」
「ちゃんとやるんだ………」
「滅多にやらないからなあ。ま、きみが来なければ、ここまでちゃんとはやらなかったと思うよ」
「あ、うん」
 ごめんって言うのも変だけど、ありがとうって言うのも的外れだよなと思って口ごもったことを、見抜かれている。彼のニヤリ笑いはたぶん、そういう意味。
「俺向こうにいるから、適当に寛いでて。あ、なんか飲む?」
 潔く肘まで袖をまくり上げ、キッチンに立つ乾を、横目で追いかける。
「何するんですか?」
「あー、コーヒーしかないわ」
「あの、じゃなくて」
「ん?」
「乾さん、これから何するんですか?」
 インスタントコーヒーの蓋を捻りながら、事もなげに告げられたのは。
「だしを取る」
 頭の中で、咄嗟にはひらめきに変わらないフレーズだった。
「えと」
「蕎麦つゆを一から作る。そのために、昆布とかつお節、買ったんじゃん」
「………あ、そうなん、ですか」
「かつお節がわーってなったところを濾すの、やってみたかったんだよね」
「そう、なんですか」
「そう。だから、きみはそのへんでゴロゴロする係な」
 そこを動くな、とでもいうような手振りで示されて、慧斗は大人しく、クッションを引き寄せた。
 テレビのチャンネルを、ニュース、通販、特番の宣伝番組、バラエティ番組の再放送………と一周して、ニュースに戻す。そのニュースもすぐに終わり、バラエティ番組が始まる。これでいいや。
 カチ、とコンロに火が点く音。
 それに感応したのかもしれない、煙草が吸いたくなる。ポケットからケースを取り出しながら、ベランダとキッチンを見比べる。乾はベランダかキッチンでしか煙草を吸わないので、慧斗もそれに倣ってどちらかにしているのだが、興味も手伝ってキッチンに心が傾いている。空振り三回のあとライターのオイル切れに気付き、火を借りる名目でキッチンに入った。
「火、もらっていいですか?」
「俺のライターは?」
「見つかんなかった」
「コートん中かな。あ、気をつけろよー」
「ん」
 邪魔な前髪をかき上げて、やかんの底を勢いよく熱している青い炎に、咥えた煙草の先を近づける。胸の奥まで吸ってから、換気扇に向けてふーっと吐き出す。白い煙が吸い込まれて消えるのを見届け、もう一口。
「俺も吸お」
 喫煙を優先してジェスチャーだけで乾にケースを差し出すと、昆布のパッケージを開ける手を止め、こちらに伸ばしてくる。一本抜き出し、同じように咥え、しかし長身の彼は窮屈そうに背中を丸めてコンロに顔を近づけた。
 やかんのお湯が沸騰するまでの短い間、無言の喫煙が続く。
 やがて二つのカップに熱湯が注がれ、そのうち一つを受け取って、慧斗は退却。
「水1200ml………」
 レシピを読み上げるのは独り言だろう。
 ネットから探してプリントアウトしたと思われるA4サイズの紙が、冷蔵庫に貼り付けてあったのをさっき見た。前に出掛けた時に買った缶コーヒーについていたおまけのマグネットが使われていたのが、なんか、すごく、可愛かった。
 コーヒーを半分くらい飲んだところで、ようやく身体が温まる。
 ようやくジャケットを脱いで、空いているハンガーを一つ借りる。
 大掃除をしたと言うけど、いつでも片付いているこの部屋は、今日も変わらずすっきりと整っている。自分と比べて圧倒的に物が少ないのと、元々部屋が広いのは確かだが、それにしたってどこにしまっているんだろうってくらい、とにかくシンプル。クローゼットに入りきらない分の三着、今は慧斗のジャケットがあるので計四着が縁に引っ掛けてあるのと、ベッドの上のスウェット以外、出しっぱなしの衣服はない。
 自分がこの部屋に出入りするようになってから、増えた物って何があるかな。
 そういえばパソコンラックと椅子は、ずいぶん前になるけど、最初からはなかったやつだ。その脇に、床に直置きの本が数冊。いつでも手元にストックされているのは数冊で、慧斗の部屋のように無限に積まれていくことはない。
 あとは、三段重ねの大きな収納ケースだ。ああ、これも、最初は二段だった。大抵の都道府県にあるメーカーの、同じ規格の収納ケースを買い足しているので、見た目こういうタンスがあってもおかしくないだろいうというのが彼の理論。半分以上は冗談だろうけど、妙に納得してしまったのを憶えている。白くて半透明で、余計な飾りの一切ない四角。無印のシンプルさは彼に良く合っている。しかし、重ねてあるだけの収納ケースが、まるで最初からそこにあるみたいに何食わぬ様子だなんて、物まで持ち主に似るんだろうか。
「一旦休憩」
 物思いを遮るように、視界いっぱいに乾の姿が現れる。
「終わったんですか?」
「だし取るのって、意外と簡単なのな。味付けはこれからだけど、先に飯食おう。腹減った」
「うん。あ、あっためなおす?」
「そこは、温めますか、と訊いてくれないと」
 頬杖を突いて、揶揄うオーラ満々の上目遣い。
「つか、今日、休みなんで」
 シャッター下りてます、とばかりに素っ気なく立ち上がってやると、それはそれで気に入ったらしく、くくくく、と結構長いこと笑っていた。
 牛丼を温めなおし、セットで買ったインスタント味噌汁に熱湯を注ぐ。それから、缶ビールを一本ずつ開ければ、夕食の準備は完了。食べている間に時間帯が切り替わり、テレビからはまたニュースが、そして、大晦日仕様のバラエティ番組が始まった。

 

 一旦休憩、と言ったからにはまだやることがあるようで、一時間くらい一緒にテレビを見ていたが、乾は再びキッチンに行ってしまう。ただし、どうにも内容が気になるらしく、片手に大根を持ったまま戻ってきたり、慧斗に解説を求めたり、何度目かに戻ってきた時にはビール片手にCMが入るまでしゃがみ込んでいたりと、効率はどんどん落ちていく。
 手が足りなければ要請があるだろうから、要請がないということは自分は必要ないということだ。実際、慧斗は慧斗で何度も煙草を吸うためにキッチンに立ったけど、特に何も言われなかった。最初に任命されたとおり、ゴロゴロする係、なので。
 暖かい部屋で、柔らかいクッションを抱いて、少しのアルコールが身体を巡るのに任せて、たゆたっている感じ。最高にうとうとしている顔を、
「眠い?」
 いつから見られていたんだろう。
「や………へいき」
 頬を擦りながら起き上がると、隣に座った乾が、今度はごろりと寝転がる。
「俺はちょっと眠い。今日は朝から働いたからなぁ」
「………もう終わったの?」
「終わったよ」
 満足げな顔で、小さく欠伸をする。
 その、閉じかけた、いや半開きの唇を、予告なしで塞ぐ。ちょっと眠いんじゃなかったっけ?反応は、思ったよりずっと過激だった。食ったつもりが食われそう、なくらいには。
「ん………」
 頭を押さえられて、離れられない。
 絡まる舌が熱い。
 キスの角度を変えながら、乾によじのぼり、跨る。
 軽く噛まれた下唇が、じんじんする。
 頭を振って唇を離すと、腹の上の慧斗を軽く揺すって、乾が笑った。
「積極的だな」
「だって。寝ちゃう前に………」
「襲っとこうと思って?」
「うん」
 弾ける寸前の失笑を、また塞ぐと、またすぐに応えてくれる。
 髪を撫でていた手が、肩から背中を滑り、脇腹をくすぐった瞬間に、パチ。
「てっ」
「だいじょぶ?」
 慧斗から乾へ、放電があったみたい。かなりいい音がした。
「ま、これも冬の風物詩だな。中村くんのセーター、気持ちいい」
「また静電気起きるよ」
「だな。セーターより、本体のほうが気持ちいいし」
 恥ずかしくて笑ってしまう、という現象も世の中には存在する。身を捩る慧斗から、剥ぎ取るように脱がせるから、案の定ばりばりと静電気が起きて髪の毛が逆立った。
「布団行こう」
「うん………」
 水たまりみたいな形になって落ちた、青いニット。柔らかいベッドと硬い胸の間に挟まれれば、そんな残像もすぐに消えてしまう。
「ケート?」
「ん」
「ほら、落ちるぞ」
 引き寄せてくれる力強い腕に、縋りついた。

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